人生のポジション
こんばんは。
サッカー好きになって久しい36歳ですが、時たま思うことがあります。
それは、
人間関係の構築や、仕事における姿勢などなど、社会的行為を考えたり行ったりする際の自分の特性やスタンスを、サッカーのポジションで例えるとするならば、今の自分は一体どのポジションの人間なのだろうということです。
そして、振り返ってみると、昔の自分の感じや、当時求めていたポジションと今の自分は、あくまで自己認識ですが、全く違うなーということを感じます。
その時その環境によって、人は変わるもんだなーと、しみじみ思ったりするわけです。
結論から言うと、今の自分のポジションは、
これが一番しっくり来ます。
人生の変遷を中学生くらいから振り返ってみると、
中学時代は、元来のシャイボーイの殻が環境の変化によって一気に破られて、積極的にコミュニティーを構築し、時には自ら点を取りに行くような、トップ下タイプだったと思います。
ただ、あくまで超真面目人間なので、上下関係や規律やモラルを重んじる中で最大限でふざけたりする、優等生ムードメーカーといったところでしょう。
これが、私の十数年に渡る闇を生み出すことになります。
それは、
ひねくれている人への嫉妬
という、よく分からない逆説の嫉妬心が生まれることとなったのです。
普通はよくない。マイナスの視点や、暗さがなければ、人生に深みが生まれないのではないかという、謎の悩みが私をにわかに支配し始めたのです。
例えるならば、一度も使われていない出来たての雑巾のようなものです。
出来たてなのに、なんとなく絞っちゃったところに、ねじれの人生がはじまります。
綺麗な雑巾は高校へと進学します。
何故か年に二回球技大会があることで有名な清○高校です。
そこで私の中に蠢きだした悩みに拍車をかける出会いがありました。
それが、
しょーつ&武石
この二人です。
彼らは心優しくてとても良い奴らなのに、信じられないくらいネガティブで、武石に関しては最終的には良い奴かどうかも分からなくなるほど、世の中をアンダーグラウンドな視点から見ていたというかもうグラウンドそのものみたいな凸凹の心の持ち主で、主に小石などを食べて生活していました。
しょーつは、見た目もかわいらしいし、スポーツも出来て謙虚という、端から見たらマイナス要素ないだろうという人物でしたが、異様に女性への警戒心が強く、というより自分が傷つきたくないというバリアーが大きすぎた結果バリアー越しにしか人とふれあえない悲しい生き物でした。そんな彼らのことを笑いつつも、出来たての雑巾であった私はそんな彼らのネガティブさにも一抹の憧れを抱いていたのではないか、というのは否定できない事実です。
私はそれまで培った経験値をいかして、クラスを引っ張り、良好なコミュニティーを作ることを心がけました。しかし、それが上手くいけばいくほど、あの二人が冷ややかで憎悪に溢れた眼で自分を見ているのではないか、そのような感覚に陥っていました。
※余談ですが、しょーつは途中あたりから本能的に女性からの可愛がられ方を掴んで楽しんでいた部分もあったのではないか、というのは個人の見解です。
このような出会いによって私のポジションはどうなるかというと、目指していたトップ下が、にわかに不適正なのではないかと感じ始めます。なぜなら、10人中5人が私をトップ下と認識しても、しょーつ、武石という自我の強力な二人は、私のことをトップ下とは認識し得ないからです。チームを掌握してこそのトップ下です。そもそもこの二人からは人間として認識されていたのかどうかも、今となっては疑問が残ります。口を開けばジョジョの話しかしない二人に挟まれた私は、その時、人間を止めました。
また、これはスピンオフですが、しょーつ、武石の共通の友人にりべさんという人物がいました。りべさんは、明らかに私のことが嫌いでした。彼は、しょーつと武石がネガティブな呼吸をする際に排出される毒ガスを主食として生きていた生物であったので、その毒ガスを生成することの出来ない私は、彼の世界にあっては何の価値もないプラスチックゴミだったのです。
このようにしてポジションを見失った私は高校三年生になりました。
そこで、またもや転機となる出会いがありました。
ガッツ達です
ガッツ達がいたのです。
彼らは金城一紀の小説の登場人物たちかと思うような、絵に描いたようなアグレッシブ、かつユーモラスな学生生活を送っている集まりでした。チャラいわけでもなく、地味なわけでもなく、ただ目の前の面白いことを全力でやろうというような、等身大の高校生のエネルギーの塊のような人たちでした。
そこに一人の重要人物がいました。
名を、ゲーリーと言います。
この人物こそ、
しょーつが心の底から崇める人物であったのです。
ゲーリーの非凡な笑いのセンスは、かねがねしょーつから聞いていました。
そして、にわかに嫉妬もしていました。
あのしょーつをここまで惚れさせるゲーリーという人物、一体どれだけエッジの効いた斜めなことを言ってくるんだこの野郎、と意気込んで迎えた高校最後の年でした。
奇しくも私とゲーリーは、出席番号で一つ違いだったため、毎日会話をすることになりました。
そして、ゲーリーの最大の面白さが、
顔と声の面白さ
であることに気が付いた時は、もうそれまで積み重ねてきた斜めとかひねくれとかの概念が覆された心地がしました。そして反証されて来たのは、しょーつの奥底には、長年のひねくれで埋もれてしまって見えなくなったピュアなしょーつが、確かにあるのだなということでした。
そして、もう一人、このガッツ達のコミュニティーの中心にいる人物がいました。
葛西
葛西ほど裏表のない人物と出会ったことはないかもしれません。
現に、葛西はよく全裸になるのですが、全裸になった葛西を見ても、自分のコンディションにもよるのですが、どちらが正面で、どこがおしりか分からないくらい、裏表のない人間です。
彼らとの出会いによって、ひねくれるとか、アングラな感じを憧憬する自分から抜け出せた心地がしました。
しかし、これが新たなねじれの始まりだったのです。
何故なら、こんなに直球で裏表のない彼らは、
個が強すぎる
という、到底真似できない天性のものを持っていたのです。
燦然と輝く個性。それに照らされるようにより際立つアンダーグラウンドな思考の人たち。どちらにも成りきれない私は、このゲームから手を引くことも考えました。
でも、そうはしなかったのです。
何故なら、
彼らのことが、大好きだから
そうして私は、その大好き友人たちの中で生き残るため、一つの決断をしました。
バランサーになろう
この決断が、私をさらに深い闇へと押し進めることとなるのでした。
(第二章「ボランチとして生きる」へつづく)